SF異星人カグヤ姫物語

 

 

 

左図:薬草 中図:薬研 右図:漢方薬 (いずれも”いらすとや”)

 

 今回の図はお爺さんの職業に関係する物です。 

 若い頃は漢方医として患者の治療にあたってましたが、次第に薬がないと医者がいても治療が十分出来ないことに気づき、常備できるように種類と量を確保するため尽力してきました。 

 そのためには弟子達とともに野山に定期的に採取旅行したり、自宅近隣や里山にある薬草園で多くの種類を栽培していました。

 今回は、自宅を離れて薬草採取にお婆さんや弟子達と一緒にでかけます。さて何かハプニングが起こりますかな?

 

  本SFショートではカグヤ姫異星人として描かれています。 

  この異星人は地球で言えば昆虫に似た生物です。 

  しかも、全く異なる2つの生物より成る社会を作っています。 

  1つは大部分を占める生物ですが、もう1つは少数派で多数派の生物に気付かれないように擬態の能力により多数派に紛れて生存しております。 

  カグヤ姫は少数派の生物に属します。

 

  カグヤ姫達異星人は、故郷の星が環境破壊などで住みづらくなり、一部は他の星での生存を期待して故郷の星を出発しました。  

  しかしながら、移住船での居住星の探索の旅の途中に仲間を感染症で失います。

  残ったカグヤ姫達の生残には、ライフサイクルの維持に不可欠なパートナーと成りうる生物を見つけないといけません。

  つまり、失った仲間がやってくれていた子孫の生育を、かわりに地球人の手を密かに借りようと企てます。

 

  また、育ての親候補は人の良さそうな老夫婦といったところでしょうか?

  候補の老夫婦は漢方薬屋さんらしい。

 

    

  異星人達は、移住可能かの判断材料のデータを現在収集中です。

  場合により、異星人達は地球を離れて新たな移住星候補を探索する旅に出なければなりません。

 

  本SFは、題名の通りカグヤ姫を含む異星人達の立場でみた物語です。

  さて、かぐや姫が出てくる「竹取物語」ですが、あらためてWikipediaを見てみますと、平安時代に成立した物語で、作者不明で、正確な成立年も未詳とあります。

  「源氏物語」の文中にも記述があり、日本最古の物語だそうです。

  9世紀後半から10世紀前半頃に成立したとされる、かなによって書かれた最初期の物語の1つだそうです。

 

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目次

第1章:異星人

第2章:地球

第3章:カグヤ姫(現在

第4章:求婚

第5章:領主三角(みかど)氏

第6章:カグヤ姫の憂鬱

第7章:帰還

第8章:エピローグ

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(前回まで)

 

 お爺さんとお婆さんの息子及び娘はそれぞれ既に独立して離れた地方で家庭を持っていた。 

 二人共薬関係の仕事をしていた。

 孫達も地理的に離れているのでなかなか会えず、二人だけの生活ではなんとなく寂しく感じるようになった。 

 このなんとない物足りなさで、機会があればカグヤ姫のような孫くらいの年頃の子供の世話を容易に引き受けるような背景にはなっていた。

 

 

 実は、逆上ること数年前にこうした老夫婦は既に異星人達の観察の対象となっていた。 

 地球人のカグヤ姫の育ての親となる者を探索していたのである。 

 

 小型侵入艇の着陸地点は“人間”という地球の支配生物が踏み入らない山間部であったが、 山麓部には”“があり、住人は植物を住居周辺で栽培したり、他の生物を狩猟したりして生活していた。 

 村の住人は少し離れた、人間がより多数で住んでいる”“へ物々交換するためにたまに行くようである。 

 町や村への移動は徒歩や、家畜と言う他の生物を利用して行き来している。 

 人間間の争いではと言う武器で相手を殺してしまう残忍さがある。 ただ、すべての人間が刀を使用するわけではなく本来多くの人間は好戦的ではないようである。

  

 老夫婦屋敷地方都市部にあるが、子供たち家族が近くにいる間は頻繁に行き来して暇を感じるような生活ではなかった。 

 そんな時期には、お婆さんを留守番にして、お爺さんは定期的に自分の管理する薬草園里山薬草採取弟子使用人を連れ出かけるのである。 

 薬草を常備しておくためにも、薬草の各収穫時期を考慮しながら定期的に採取旅行に出かけていた。 

 しかしながら、老夫婦も50歳を過ぎると、長年留守番をしてきたお婆さんの労をねぎらい、子供達家族の離れた屋敷に一人取り残すよりは夫婦で薬草採取旅行をしようとお爺さんは考えるようになった。 

 薬草採取もお爺さんが指図すれば、力仕事は弟子たちに任せられるのだ。 

 工面して作った時間で、夫婦の談笑や散歩や観光をした。 

 料理人にお婆さんが少し指図することにより一行の旅行中の食生活も問題なしで済んだ。 

 夕食を囲む一行は、現代で言えば丁度キャンプを楽しんでいるような和やかな雰囲気に包まれていた。 

 長年の付き合いの弟子や使用人は家族同伴の者もいた。 

 丁度この時期には、近くの清流でがそろそろ見られる頃であった。 老夫婦とお付きの何人かで食後蛍狩りに出掛けた。

 

    現代だと、夜でも各家庭には電灯が、また地方都市位だとネオンが明るく、暗闇の淡い光に注意を払う者も多くない。 

 この当時は灯りの明るさは比べようもなく低く、勿論数も少ない。 

 しかも農薬などの化学物質などほとんどないため、空気や河川の環境汚染もまったくない。 

 老夫婦が薬草採取に来ている里山周辺には、栽培している薬草園や村民の耕している畑、地方都市に戻る途中の平野では田の人手が加わった場所があるが、大小の河川は今よりはるかに生息に適しており、あちこちで大群が飛び交う風景が見られる。 

 現代人には滅多にお目にかかれない神秘さがあるが、当時の田舎に住む人々にとっても珍しくない風景ではあるが、小さな光の大群が海の渦のように舞い、その渦の中に身を委ねても決して熱くない不思議な感覚はやはり神秘的であった。 

 

 

       

(次回に続く)